2012年4月 3日 (火)

大阪フィルハーモニー交響楽団 大植英次スペシャルコンサート

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2001年に亡くなられた巨匠朝比奈隆の後任として2003年に大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任した大植英次が、この3月にその職を退任することとなり、音楽監督としての最終日3月31日に大阪のザ・シンフォニーホールにて記念公演が開催された。
この音楽監督としての最後の公演はファンからの投票によって、公演プログラムが決定されることとなり、その結果前任者朝比奈隆の十八番ブルックナーの交響曲第8番がその先集公演の曲目となった。個人的にもこの最終公演は、ブルックナーの交響曲第5番か8番が相応しいと考えていたので、チケット発売日に購入した。
ブルックナーの交響曲第8番というと、先日のN響アワー最終回スペシャルで、マタチッチの1982年の公演が第4楽章最後の一部分だけではあったが放送され、そのスケールの大きさに圧倒されたのだが、今回の大植英次の演奏も大変な熱演で、この第4楽章のコーダのスケールの大きさは尋常ではなかった。ゆっくりとしたテンポでの金管とティンパニの強総強打は、まるでハンニバルに率いられた象の大軍団が雄叫びを上げながらアルプス越をしているかのようであった。
スケールの大きさだけではない。第3楽章のアダージョでは一瞬の弛みもない緊張感をもった叙情性が音楽を支配していた。私はブルックナーの作品を極めて高く評価するが、この8番のシンフォニーではこの長大な第3楽章で、多少なりとも注意散漫となる事が多い。しかし、今回の演奏では30分を超えたであろう演奏時間の間、常に強度の緊張感を強いられ、時間の長さを感じることはなかった。

今回のコンサートは午後3時の開始で、終楽章の最後の一音が鳴り止んだのが4時半過ぎであったから、演奏時間は90分程度であったと思う。全体としては、大変ゆっくりしたテンポの演奏で、とりわけ最後の2つの楽章は遅いテンポが際立っていた。大植英次は、大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督退任後も同楽団の桂冠指揮者として、引き続き定期的に大阪フィルの指揮台に立つ予定で、7月のマーラーの交響曲第9番の演奏が待ち遠しい。

次回はこのコンビで、是非ブルックナーの交響曲第5番を聞かせて欲しい。

2012年3月16日 (金)

東大寺二月堂のお水取り

奈良に春の訪れを告げる東大寺二月堂の修二会(お水取り)が14日に終わった。私は3月11日と14日にお水取りのお松明を見に出かけたが、今年のお水取りは、期間中に東日本大震災の一周年を迎えることから大震災の追悼の色彩の強い行事となった。とりわけ3月11日のお松明では、行事開始前に東大寺北河原別当が涙で声をつまらせながらお話された東日本大震災犠牲者への追悼は感動的であった。

お水取りのお松明の行事では、練行衆と呼ばれる11人の僧侶が、各々1本のお松明を持って二月堂の階段を一気に駆け上がり、お松明の火を二月堂下に集まった参拝者に振り注ぎながら二月堂舞台を北から南へ、そして舞台裏へと移動する。3月1日から13日までは、練行衆は数分の間隔をおいて一人ずつ舞台に上がるのだが、14日の最終日は、練行衆全員が揃い組で舞台に上がり、舞台は大きな光に満たされ壮観である。

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お水取りが終わる頃には、梅の花も満開になり春の訪れを実感できるようになる。2週間後の桜の季節には薬師寺の修二会(花会式)が始まり、奈良では春本番を迎える。

2012年3月12日 (月)

びわ湖ホールのタンホイザー

3月10日、びわ湖ホール初日の「タンホイザー」を見た。全体として大変にレベルの高い演奏で、ミヒャエル・ハンペの伝統的な演出も大変に好ましいものだった。
私は、在独中の1980年代、ケルンオペラ(Stadtoper Köln)に数々通っていたが、当時のケルンオペラの総監督(Inntendant)がミヒャエル・ハンペで、ハンペ演出の「タンホイザー」も何度か見た記憶があり、今回のタンホイザーを大変楽しみにしていた。
当時の出演者を調べようと昔のプログラムを探したところ、1987年の3月と12月の公演プログラムを見つけた。その時の主要キャストを参考までに記載しておく。

1987年3月21日(土)
ヘルマン:マティアス・ヘレ
タンホイザー:クラウス・ケーニッヒ
ヴォルフラム:ヴォルフガング・ブレンデル
ヴァルター:ヨーゼフ・プロチュカ
エリーザベト:ナディーヌ・ゼクンデ
ヴェーヌス:キャロル・ヤー
指揮:マレク・ヤノフスキ
管弦楽:ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

1987年12月26日(土)
ヘルマン:ディーター・シュヴァイカート
タンホイザー:スパス・ヴェンコフ
ヴォルフラム:ルートヴィヒ・バウマン
ヴァルター:ヨーゼフ・プロチュカ
エリーザベト:ナディーヌ・ゼクンデ
ヴェーヌス:アデル・ニコルソン
指揮:ハンス・ヴォルフガング・シュミッツ
管弦楽:ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

もう25年も前の公演で記憶は定かでないが、当時のケルンオペラのワーグナー公演で大変評判になっていたナディーヌ・ゼクンデのエリーザベトが大変に素晴らしかったことと、演出では第1幕ヴェーヌスベルクの場面で、素っ裸の男女のダンサーが舞台をところ狭しとと走り回る大変刺激的なものだったことだけははっきりと覚えている。
今回の演出は、極めてオーソドックスなもので、ケルン時代のような刺激的なものではなかったが、それだけに音楽に集中できる大変に好ましいものだったと思う。
昨今、欧州の歌劇場では前衛的でよく訳のわからない演出がはびこっており、オペラの主役が音楽から演出に移っているのを私は大変危惧している。ヴォルフガング・ヴァーグナーが亡くなられてからのバイロイト音楽祭も例外ではなく、昨年NHK BSで生中継された「ローエングリン」、世間でネズミローエングリンと命名されている演出もひどいものだった。
バイロイト音楽祭の新しい劇場運営者が、今までの神格化されたヴァーグナー像を破壊しようとしているのは理解できるが、音楽の邪魔をする演出というのはいただけない。私が、バイロイトでローエングリンを見たのは1993年だったが、ヴェルナー・ヘルツォークの美しい舞台が忘れられない。ノイエンフェルスの刺激的なネズミローエングリンは大変刺激的ではあるが、すぐに飽きられることだろう。

前置きが長くなったが、3月10日の主要キャストは以下のとおり。

ヘルマン:妻屋秀和
タンホイザー:福井敬
ヴォルフラム:黒田博
ヴァルター:松浦建
エリーザベト:安藤赴美子
ヴェーヌス:小山由美
指揮:沼尻竜典
管弦楽:京都市交響楽団

歌手陣が大変充実しており、大変見応えのある公演であった。京都市交響楽団も沼尻竜典のメリハリのある明快な指揮さばきに見事に応えた大変な熱演であったが、この演奏からはかつて訪れた霧に霞むヴァルトブルク城の暗く神秘的な光景を思い浮かべることは出来なかった。

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歌手の中では、何と言っても福井敬のタンホイザーが抜きん出て素晴らしかった。福井敬はトゥーランドットのカラフやトロヴァトーレのマンリーコといったドラマティコの役柄を得意とするテノールだが、タンホイザーをこれほど完璧に歌えるテノールとは想像していなかった。彼のバリトン的な暗い声質はタンホイザーに向いているとは思っていたが、第3幕の前半を除いてほとんど舞台に出ずっぱりで、最後の最後にローマ語りの長丁場をかくも完璧に歌えるとは誠に圧巻であった。
この最後のローマ語りは歌唱力に加えて、大変な演技力が要求されるが、福井敬の完ぺきな歌唱と演技にただただ圧倒されるばかりであった。
福井敬に次いで黒田博のヴォルフラムが印象に残った。大変な美声の持ち主である。他の歌手も大変レベルの高い歌唱であった。

第3幕の幕が降り、熱狂した観客から大変な拍手と歓声が沸き起こった。今回の公演では、ミヒャエル・ハンペが実際に演技指導を行ったようで、カーテンコールではミヒャエル・ハンペが現れ、大変に驚いた。ハンペの姿を見るのはほぼ20年ぶりだろうか。今年で77歳ということで、確かに年を取られたなと感じたが、足腰はしっかりして大変元気そうで安心した。
なお当日エントランスで配られたチラシで、福井敬が今年9月東京文化会館でパルシファルに挑戦することを知った。この公演は是非聞きに行こうと思っている。

2012年2月14日 (火)

バレンタインデー

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今日はバレンタインデー。TVではチョコレートの話題ばかりで、少々うんざりする。バレンタインデーとは、古代ローマ時代の聖ヴァレンティヌスの記念日の事だが、詳しいことはWikipediaの聖ウァレンティヌスを参照願いたい。古代ラテン語にはUという文字はなく、代わりにVの文字が使われた。このVは子音と母音の双方に使われ、古代ラテン語ではValentinvsと表記され、発音はウァレンティヌスが正しい。しかし、時代が下り教会で使用された中世ラテン語ではヴァレンティヌスの発音となり、これが一般的となっている。

バレンタインデーというと私は、1999年に亡くなられたフランスの画家・漫画家のレイモン・ペイネを思い出す。ここで取り上げた1枚のリトグラフは、だいぶ前に軽井沢で購入したものだ。ペイネは、映画「ペイネ・愛の世界旅行」でも日本人にもお馴染みの画家で、軽井沢塩沢湖にはペイネの美術館まである。ペイネとバレンタインデーがどう関係があるのだと思われるだろうが、この絵の下にある1枚の切手と2つの消印にご注目いただきたい。

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ペイネのイラストの切手に1985年2月14日付のサンタムール村とサンヴァランタン村の消印が押されている。サンヴァランタンはフランス語で聖ヴァレンティヌス、サンタムールは「聖なる愛」だからこの切手と消印のあるペイネのリトグラフは世界中で結構人気となったようだ。日本もバブル経済に突入する直前ということで、かなりの数が売れたのではないだろうか。

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ペイネ関連の作品をもう一つ紹介する。上の絵皿は、先日軽井沢のペイネ美術館で購入した美術館の記念品だが、絵柄が面白い。パリの地図のセーヌ川上にペイネの絵に登場する恋人たち(映画ではヴァレンティノとヴァレンティナという名前だった。)が船に乗っている。イタリア語で"Senna o fiume degli innamorati" (セーヌ川、或いは恋人たちの川)と書かれている。映画「ペイネ・愛の世界旅行」もイタリア語の映画だったが、ペイネは母国フランス以上にイタリア人に好まれていたのだろうか。

2012年2月13日 (月)

日本センチュリー交響楽団第168回定期演奏会

先週2月9日、久しぶりに日本センチュリー交響楽団の演奏会に出かけた。私はこのオーケストラが大阪センチュリー交響楽団の頃によく聞きに行ったが、とりわけアリス紗良オットのピアノと小泉和裕の指揮で聴いたリストのピアノ協奏曲第1番とブルックナーの交響曲第5番の演奏会が大変な名演で印象に残っている。その後大阪センチュリー交響楽団は、大阪府からの補助金打ち切りを経て完全に民営化され、楽団の名称も日本センチュリー交響楽団に変更となったわけだが、今回のコンサートを聞き、民営化後も極めて高い水準を維持していることが確認でき安心した。

ご存じの方も多いと思うが、昨年橋本知事が大阪市長に転出したことを受け、今度は、大阪市の補助を受けていた大阪フィルハーモニー交響楽団が市の補助金の見直しにより財政的な危機に瀕している。オーケストラだけではなく、伝統芸能、美術館・博物館といった芸術・文化は、支援者なしでは成り立たないものであるが、人口減少の必然的帰結としての経済低成長と財政危機が続く社会の中で、日本人は、今後どのようにして今ある芸術・文化を発展させ、後世に継承していくべきなのか本当に頭の痛い問題である。

今回のコンサートを振り返ってみよう。プログラムは以下のとおりである。

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ルトスワフスキ、プロコフィエフ、シベリウスのプログラムで全て20世紀の作品である。その中で一番の聞き物は、やはりイザベル・ファウストのヴァイオリンによるプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番であろう。20世紀のヴァイロン協奏曲というと私は、アルバン・ベルクとエーリッヒ・コルンゴルトのものをよく聞くが、このプロコフィエフの作品も大変に魅力的なものだ。構成が少し変わっていてアンダンティーノの第1楽章、モデラートの第3楽章とふたつの緩徐楽章に挟まれてスケルツォの速い楽章が間にある緩ー急ー緩の3楽章構成になっており、通常の急ー緩ー急と対照的な構成になっている。その結果、印象に残るのは、両端緩徐楽章の消えいるような再弱音で終了する叙情的かつ神秘的な場面である。プログラムによるとこの作品が作曲されたのが第1次世界大戦の最中1917年ということなので、絶望的な時代精神が反映されているのだろう。この作品の持つ独特な雰囲気は、絵画のフランツ・フォン・シュトゥックやフェルナン・クノプフの作品に通じる象徴的・神話的世界につながっている。イザベル・ファウストのヴァイオリンもこの曲の持つ神秘的な世界を巧く表出した大変な名演であったが、アンコールで演奏されたバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタのラルゴが大変感動的であった。千人以上の観客がシンフォニー・ホールに共鳴する1本のストラディバリウスの妙なる響きに集中する。曲が終わって暫しの沈黙と熱狂的な拍手。貴重な体験であった。

後半は、シベリウスの交響曲第2番。その前の週に大阪フィルハーモニー交響楽団の定期公演で、シベリウスの交響曲第7番を聞いたので、2週続けてのシベリウスとなった。少し難解な第7番に比較するとこの第2番は古典的な様式に則った交響曲であり、大変聴きやすい。ポーランドの有望な若手指揮者ミハウ・ドヴォジンスキは初めて聞く指揮者だが、メリハリの聞いた非常に熱い演奏を聞かせてくれた。

2012年2月 9日 (木)

大阪城公園の梅

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先週暖かな日が続き、大阪城公園の梅がどうなっているか気になり、昨日出かけてみた。

今年の冬は厳しい寒さが続いたせいだろうか、開花はかなり遅れている感じだ。それでも満開の蝋梅に加え、早咲きの梅が開花し始めていた。

梅に加え、早咲きの桜が咲き始めていたのには驚いた。寒い日々が続いているが、立春も過ぎ、春はもうすぐだ。

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2012年2月 6日 (月)

関西フィルハーモニー管弦楽団第235回定期演奏会

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先週金曜日、関西フィルハーモニー管弦楽団の第235回定期演奏会のため大阪のシンフォニーホールに向かった。シンフォニーホールの最寄りの駅は環状線の福島なのだが、何を勘違いしたのか一つ手前の野田駅で下車してしまった。駅を出ていつもと違う景色に驚き、ここが野田駅であることにやっと気がついた。環状線の一駅ぐらい大したことないだろうと思い、福島駅方面に向かって歩き出したのだが、これが結構距離がある。時間にして30分程度は歩いただろうか。野田といえば野田首相だろう。野田首相と被災地福島の距離はほんとうに大きいことを今更ながら実感した次第。

ところで、今回のコンサートのプログラムは、藤岡幸夫のシベリウス・チクルス第1夜ということで、前半が小山実稚恵さんのピアノによるブラームスのピアノ協奏曲第1番、後半が吉松隆の管弦楽曲「朱鷺によせる哀歌」とシベリウスの交響曲第7番であった。正直私はブラームスという作曲家が大の苦手で、ブラームスを聞きにコンサートに出かけることはない。しかし、今回は小山実稚恵さんのピアノが聴けるということで、チケットを購入した。昨年末NHK BSで放映された東日本大震災のチャリティーコンサートでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第2,3楽章を弾かれていたが、その番組で彼女が仙台出身で、震災後、宮城県の被災地の小学校などを訪問し、ピアノ演奏を通じて被災者の方々に希望を与えられていることを知り、是非彼女の演奏を聞いてみたいと思った次第である。

前半のブラームスのピアノ協奏曲は大変な盛り上がりであった。最後はフライング気味の”ブラヴォー”が飛び出したが、まあこの熱気の中では致し方無いか。小山実稚恵さんのピアノは、力強い速いパッセージでは極めて技巧的に、そしてゆっくりとした場面では本当に繊細で細やかな音作りをしており、その幅広い音楽性に感銘を受けた。

後半のプログラムは、前半のブラームスの理性的というか理知的な音楽と正反対な、自然と一体化した極めて感性的な音楽であった。吉松隆の管弦楽曲「朱鷺によせる哀歌」は初めて聞く音楽だが、大変美しい音楽である。吉松隆は一般的にはあまり知られていない作曲家と思うが、NHKの大河ドラマ「平清盛」の音楽の作曲者なので、結構多くの人がその音楽を耳にしているはずだ。この「朱鷺によせる哀歌」は吉松が1971年春、能登で死んだ日本最後の朱鷺に着想を得て作曲された演奏時間20分弱くらいの弦楽器とピアノによる作品だが、最初から最後までヴァイオリで奏でられる旋律は甲高い朱鷺の鳴き声に、チェロ、コントラバスの弦と胴体を弓で叩いて発せられる音は朱鷺の羽ばたきに、そして中間部でピアノで演奏される音楽はまるで池や小川の水音に聞こえた。大変印象的な作品で、音楽は最後死んだ朱鷺を追悼するかのように静寂の中で終わる。

最後のシベリウスも、藤岡幸夫の唸り声が会場内に響き渡り、大変熱気のこもった演奏であったが、最後音楽が静かに終わる場面は大変感動的であった。シベリウスの音楽は派手ではないが、音楽の中にフィンランドの自然に対する細やかな愛情が感じられ、日本人に近い感性を感じる。ヨーロッパ人は基本的に自然をあるがままに受け入れることはしない。ヨーロッパの宮殿の庭園では、木は円錐状に刈り取られ、その配置も左右対称だ。自然は人間の都合の良い様に合理的に手を加えられる。フィンランドは現在EUの加盟国ではあるが、フィンランド語がインド・ヨーロッパ語族ではなくアジア系の言語であるように、現代のフィンランド人にもアジア的なものが引き継がれているのかも知れない。

2012年1月31日 (火)

志摩スペイン村 パルケエスパーニャ

ここ毎年、近鉄の初詣切符を使用して正月に伊勢神宮を参拝しているのだが、今年は日帰りではなく、神宮外宮近くのビジネスホテルに一泊して翌日パルケエスパーニャに出かけてみた。
1月ももう終わりだというのに伊勢神宮の方は外宮も内宮も結構な人混みだったが、パルケエスパーニャは人もまばら、多分100人程の客がいただけだろう。凍てつくような寒さの中、多分年間でも一番訪問客の少ない閑散期なのだろうが、経営が大丈夫だろうかとちょっと心配になってしまう。
私はパルケエスパーニャを訪れるのは初めてなのだが、スペイン、イタリア、ポルトガル、ギリシアといった国家破綻寸前の南欧の大ファンとして、是非ここで一度フラメンコショーを見たいと思っていた。
フラメンコというと、グラナダのアルバイシンの洞窟で観光客相手にジプシーの太ったおばちゃんが踊る素朴なものからセビージャのタブラオで演じられる洗練されたものまで幅広く、夫々たいへん楽しめるものだが、とりわけ私はフラメンコのアラブ風の音楽が好きだ。フラメンコの音楽も踊りも西洋というよりは、エジプトやトルコのベリーダンスに近い感じがする。
フラメンコの由来を私はよく知らないが、多分北アフリカのアラブ人がスペインに持ち込んだものなのだろう。実際、フラメンコ(闘牛も?)など日本人がスペイン的と感じるものはアラブ文化起源のものが多いように感じる。日本人はスペインを旅行するとトレドやマドリードの土産物屋でダマスキナードと呼ばれる金糸が美しい象嵌細工をよく見かけると思うが、これもアラブ起源である。ダマスキナードというくらいだからダマスカスあたりから伝わったものなのだろう。

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写真は、パルケエスパーニャのフラメンコショーのポスターだが、美男美女揃い、大変洗練されたショーだった。ここでは先着何名か、終演後フラメンコダンサーと一緒に記念撮影が許されるが、観客が少なかったので、私も記念写真を撮っていただいた。良い思い出になる。このフランコショーは通常は有料なのだが、この時期パルケエスパーニャパレードが開催されないなどイヴェントが少ないので、パルケエスパーニャの入場券だけでショーを鑑賞できた。

私は、パルケエスパーニャの乗り物等のアミューズメントには一切興味はないが、この園内を散策するのは楽しい。スペインの名所、マドリードのプラサ・デ・マヨール、バルセロナ港のコロン記念柱、グエル公園等の名所やアンダルシアあたりだろうか、白い石作りの家の街並みが本物そっくりだ。あまり人がいなかったので、本当にアンダルシアあたりを散策している気分になる。

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とりわけ私が気に入ったのは、フランシスコ・ハビエル(ザビエル)の生誕地に建つハビエル城を模した建物と中の博物館だ。

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ここではスペインの歴史や風土をひと通り学ぶことができるが、中でも「アルタミラ洞窟の壁画」の模写は楽しめる。本物の壁画は明日香村の「高松塚古墳の壁画」と同様に保存上の理由から一般公開されていないので、スペインに行ってもレプリカを見るしかない。

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その他にもロマネスク様式の聖母子像などの国宝級の作品の複製が展示されている。

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この博物館では、その他スペイン各地の民族衣装とか、マニセス焼の工房、宮殿内のキッチンの複製が展示されていて、スペイン好きの人にはとりわけ興味深い場所だろう。

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バブル期以降、日本のあちこちにこのようなテーマパークが作られたが、日本経済の低迷による経営難から柏崎のトルコ文化村、名古屋港イタリア村、長崎オランダ村は既に廃村になってしまった。ハウステンボスも一度は経営破綻したが、現在はHISの支援を得て経営は立ち直りつつあるようだ。日本にあるテーマパークが東京ディズニーランドと大阪ユニバーサル・スタジオだけだというのでは寂しい。志摩スペイン村にも頑張って欲しい。

2012年1月26日 (木)

マイセン窯の天使絵

ザクセン公アウグスト強王によってマイセン磁器製作所が設立されたのは、1710年のことだ。
当時中国や日本の磁器はヨーロッパの王侯貴族の憧れの的で、大量の磁器がオランダの東インド会社によってヨーロッパに輸入されていたが、当時のヨーロッパには磁器の焼成技術はなく、欧州の王侯貴族は大金をつぎ込んで磁器焼成のための実験を争っていた。
言ってみれば当時のヨーロッパにおける磁器焼成技術というのは、現代の最先端技術、例えば鳥インフルエンザのワクチン開発みたいなもので、最初に成功した者には巨万の富が保証されていた。これに成功したのが、ザクセン公アウグスト強王で、得体の知れない錬金術師ヨハン・フリードリヒ・ベットガーを幽閉し、ひたすら磁器焼成の実験を強制し、1709年にヨーロッパ最初の磁器焼成に成功した。ベットガーは、磁器焼成成功後は、その秘密の保持のため外部との接触は禁止され、酒浸りの生活によって健康を害し、1719年に37歳の若さで没する。

ベットガーの死後、絵付師ヘロルト、造形師ケントラーの活躍で、マイセン窯は莫大な富をアウグスト強王にもたらした。アウグスト強王は柿右衛門の収集家として有名で、そのコレクションは、ドレスデンのツヴィンガー宮殿に展示されているが、マイセンがまずとりかかったのは柿右衛門のコピーで、これは現在のマイセン窯の定番となっている。
18世紀前半の初期マイセンは時折三越本店などで見かけることがあるが、その絵柄は港湾風景や狩の光景などの基本的にバロック様式のものであったが、18世紀後半になると時流に合わせてロココ風のやわらかなものに変化していく。

今回取り上げるマイセン窯の天使絵は、19世紀に入ってからのものであるが、この天使絵のオリジナルの絵は、ドレスデンのツヴィンガー宮殿内の絵画館にあるラファエロ晩年の大作、「サン・シストの聖母」に描かれている天使のコピーである。マイセン窯によってもたらされた巨額の富で、アウグスト強王はポーランド国王の地位をも手に入れるが、更に数多くの美術品を収集した。この「サン・シストの聖母」はアウグスト強王の嫡男フリードリヒ・アウグスト2世の時代にコレクションに加えられたものだが、この作品を見るだけでもドレスデンは訪れるに値する街である。

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芸術的な価値としては、このマイセンの作品よりも前回紹介したフランス・ロココの大家フランソワ・ブーシェの監督によるセーヴルの天使絵のほうが高いが、マイセンらしい大変丁寧な絵付けである。

最後にもうひとつマイセンの天使絵を取り上げるが、かつてのナポリ窯(現在のリチャード・ジノリ ー カポディモンテ)の影響の大きい作品で大変興味をそそられる。

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2012年1月23日 (月)

旧正月

今日は旧暦の新年だ。
日本では明治政府樹立以降、西暦で新年を祝うようになったが、中国を始め東南アジアの多くの国では旧暦で新年を祝っている。旧暦の太陰太陽暦では、今日から春が始まる。日本人も年賀状では、”新春”や”迎春”の言葉とか梅の花のイラストで春を演出するが、冬至からそう日も経っていない新暦の1月1日に”新春”はちょっと無理があるなと感じてします。
旧暦の新年は新暦の1月終わりから2月初めになるので、そろそろ梅の花が咲き始め、かすかに春の訪れを感じる季節だ。
多くの日本人は、新年というと大晦日の除夜の鐘と初日の出をイメージするのではないだろうか。新暦の新年は太陽暦だから、月齢とは関係なく、満月が輝く夜に除夜の鐘を聞くこともある。しかし旧暦では月の始めが朔月となるので、大晦日には月は見えない。昔の日本人は常に真暗闇の中で除夜の鐘を聞き、その暗闇の中から現れる初日の出に祈願していたのだ。そう考えると昔の日本人にとっては、初日の出はまさに暗黒を突き破って現れる希望の光だったのだろう。

日本人が新暦の新年を祝い始めてもう100年以上経過しているが、過去の日本文化・伝統を次代へと受け継ぐためには、昔の人々が持っていた旧暦の季節感というものを私達も併せ持つことが必要なのだと思う。

そんな旧暦の新年の季節感を確かめるために先週末、近所の葛城市石光寺に出かけてみた。境内では寒牡丹や寒咲あやめに加えて、蝋梅の花が咲き始め、あたりには芳ばしい香りがほのかに漂っていた。 季節的には大寒直後の一番凍える時期ではあるが、春は間違いなく近づいている。

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